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mardi 3 mars 2015

Giverny ジヴァーニー

Photo L. Pouqueville

Visiter les jardins de Claude Monet c'est se retrouver au cœur de ses toiles.

Photo L. Pouqueville

Pour en profiter pleinement je me permets de recommander une visite à la fin du printemps lorsque les iris sont en fleur (Calendrier des floraisons). Même sous la pluie printanière Giverny ne manquera pas d'inspirer les photographes amateurs que nous sommes tous!

Photo L. Pouqueville

La maison de Monet est décorée de nombreuses estampes japonaises (ukiyo-e), ce qui nous rappelle la forte influence des arts japonais sur les artistes impressionnistes.
C'est le japonisme, un mouvement né dans la deuxième moitié du XIX° siècle, en référence aux thèmes et formats japonais qui influencèrent les impressionnistes.
http://www.bnf.fr/documents/biblio_japonisme.pdf

http://cafeglace.tumblr.com/post/27185931849/le-japonisme

Pour éviter la foule à la caisse, vous pouvez acheter vos billets (maison et jardins) en ligne, c'est à peine plus cher et vous bénéficierez d'un coupe-file à droite de l'entrée principale.

Pour y aller (japonais - français - anglais)

Pour aller plus loin :
Monet et son oeuvre
L'impressionnisme
Exercice de français sur les expressions avec le mot fleur

Photo L. Pouqueville
    ジヴェルニーは印象派の巨匠クロード・モネが1883年から1926年まで住んだ家がある村です。息子によって美術アカデミーに寄贈され、大規模な修復工事を経て、1980年にクロード・モネ財団として開館しました。
    またモネに惹かれて多くの印象派、特にアメリカ人の印象派の画家が村に滞在し、20世紀初頭、ジヴェルニーは芸術家のコロニーとして賑わいました。
    見どころはなんと言ってもモネの家と庭園ですが、そこからほど近い印象派美術館は近代的で美しい美術館。食事を楽しむこともできるので合わせて訪れると充実した滞在となるでしょう。
    アクセス
    鉄道/パ リのサン・ラザール駅からルーアン方面息の列車でヴェルノン Vernon駅下車。パリから所要約50分。ここからジヴェルニーまでは約5km。ここからバスまたはタクシーを利用する。バスは本数は少なく、タクシーの台数もあま
    りない。パリから日帰りツアーも催行されている。

      主なみどころ

    モネの邸宅と庭園 MAISON ET JARDIN DE MONET

    モネ(1840-1926年)がル・アーヴルやパリでの制作活動のあと安住の地に選んだのがジヴェルニー。43歳から亡くなるまで人生のほぼ半分を
    この家で
    過ごしました。花咲き乱れる美しい庭園はモネ自らが設計したもの。しだれ柳が水面に影を落とす蓮池がまさに「睡蓮」の世界を思わせる情景。池にかかる太鼓
    橋がモネの日本趣味をうかがわせます。花の咲いている時期こそ訪れる価値があるので、冬は閉館してしまっています。
    モネの家は淡いピンク色の外壁や内部の調度品も当時のままに修復され、画家の息遣いを感じることができます。モネの作品こそありませんが、モネ自身が集め
    た貴重な日本の版画コレクションが展示されています。
    

オープン期間 41日~111日 
    アクセス

ル・アーヴル Le Havre


コンクリートの詩人、オーギュスト・ペレ


「コンクリートの詩人」によって息を吹き返した町。第二次世界大戦中ノルマンディ上陸作戦を契機に砲撃と空爆によっ
て、街の8割が破壊され8万人の市民が住居を失ったル・アーブルは町として完全な機能を取り戻すまでに20年の歳月を
要しました。復興・再建の中心的役割を担ったのは、建築家オーギュスト・ペレです。
すでに20世紀初頭に、シャン・ゼリゼ劇場の改築にコンクリートという前衛的な素材を使用して議論を醸したペレは「コン
クリートの詩人」と呼ばれていました。
ル・アーヴルの133ヘクタールに上る再開発地域を、コンクリートで斬新かつ機能的な街並みに蘇らせました。現在、町
の中心に燦然と110メートル高さでそびえたつサン・ジョセフ教会の八角形の塔は、いわば町の復興の象徴です。
1951年に建築がはじまり1957年に竣工したサン・ジョセフ教会は、20世紀建築の傑作のひとつです。中に入ると、
12,768枚もの色鮮やかなステンドグラスが、コンクリートを明るく照らしています。2005年、ユネスコは「オーギュスト・ペ
レによって再建された都市ル・アーヴル」として市の中心部を世界遺産リストに登録しました。
ル・アーブルは、ユネスコの世界遺産であるだけでなく、印象派発祥の地であり、クルージング港であり、海水浴場でも
あり、ノルマンディー地方の中心という理想的な立地条件と相まって、新たな観光地として人々の注目を浴びています。
ル・アーブルに滞在すれば、活気あふれる野心的な町を見学できると同時に、オンフルールやエトルタ、ルーアン、ジベ
ルニーなどの周辺の観光地にも簡単にアクセスできます。ル・アーブルは、パリ大都市圏の膝元にある海辺の近代的な
大都会です。二―メイヤーやヌーヴェルなどの建築家がペレの後をつぎ、そのリアリズムは目を見張るほどです。海辺
の文化都市ル・アーブルは、その魅力で、訪れる者を虜にします。

Normandie Tourisme sur YouTube

https://www.youtube.com/channel/UCcMSlF2G4lJRL3aCPiaNZzg

Suivez les dernières vidéos Normandie Tourisme (en japonais)!


A voir également : La Normandie avec les enfants
http://www.normandie-tourisme.fr/avec-les-enfants-144-1.html

8 minutes de bonheur...

Magnifiques images de la Normandie!

Normandie pour la vie (version longue)

アクセス (accès)




空路
  • 第1日
    パリ~ジヴェルニー→73 km 、1時間半
    ジヴェルニー~コネル→36 km、45分
    コネル~ルーアン→ 29 km、35分
  • 第2日
    ルーアン~エトルタ→ 83 km、1時間半
    エトルター~ル・アーヴル→ 28 km、30分
    ル・アーヴル~オンフルール→ 25 km、30分
  • 第3日
    カン~モン・サン=ミッシェル→ 120 km 、1時間40分
    モン・サン=ミッシェル~パン牧場→ 192 km、2時間
    パン牧場~カマンベール→ 22 km 、25分
    カマンベール~パリ→ 196 km、2時間45分
鉄路
パリから
  • ジヴェルニー→ヴェルノンまで40分。ヴェルノンからバスで10分
  • ドーヴィル、トゥルーヴィル→2時間
  • オンフルール→ドーヴィルよりバスで20分
  • ル・アーヴル→3時間30分
  • モン・サン=ミッシェル→レンヌ経由で3時間45分
  • カン→1時間45分
  • ルーアン→1時間



印象派の故郷を訪ねて - Impressionnisme





http://www.normandie-tourisme.fr/CRTN/sites_etrangers/jap/impressionnisme.htm



19世紀なかば、絵はアトリエで描くのが普通だった時代に、進んで戸外に出て、光にあふれる自然を描く画家たちが現れました。印象
派の画家たちです。彼らにとって、ノルマンディーの穏やかな光と風景は絶好のモチーフとなりました。きらめくセーヌの流れ、海、空、
港のざわめき……。モネ、ブーダン、ピサロら、印象派の画家たちが愛し、描いた風景を探しに、ノルマンディーを旅してみませんか?

ル・アーヴル
Le Havre

印象派を代表する画家、クロード・モネ
(1840-1926)はパリ生まれですが、5歳の
頃に家族とともにル・アーヴルに移り住み、
少年時代を過ごしました。17歳の頃、先
輩画家のブーダンに出会い、戸外で制作す
ることの素晴らしさを教えられます。それ
が画家モネの運命を決定づけました。ル・
アーヴルとその周辺の海岸の風景は、彼の
生涯のモチーフと なります。
印象派 の誕生を告げる記 念すべき作品『印 象・
日の出』は、 ル・アーヴルの港 で描かれました。 1873年、モネ32 歳のときでした。
エトルタ
Etretat

海に切り立つ白い断崖の奇観で知られる
エトルタ。モネは、故郷ル・アーヴルから
ほど近いこの海岸を幾度となく訪れ、多く
の作品を描きました。ドラクロワ、クール
ベ、コローらフランス絵画の大家もエトル
タにひかれ、作品を残しています。なかで
もクールベは、1865年から1873年にかけ
て何度かエトルタに滞在し、天候によって
刻々と表情を変える断崖を描きました。彼
の代表的な連作である『波』も、エトルタ
の海で描かれたものです。
ディエップ
Dieppe

19世紀にはパリから最も近い海水浴場
としてにぎわったディエップ。ドラクロワ、
ルノワール、モネ、ドガら多くの画家が訪
れ、港や海、断崖の風景を
描きました。印象派の長老カミーユ・ピサ
ロ(1830-1903)は、穏やかな農村風景を
好んで描いた画家ですが、晩年にノルマン
ディーを旅行した際には、ディエップの港
やにぎやかな町の様子を描き、新境地をし
めしています。
ルーアン
Rouen

1892年から1893年にかけて、モネはル
ーアンでノートルダム大聖堂の連作に取り
組みました。30点の連作のほとんどは全く
同じ角度から描かれたものですが、季節、
天候、時間によって無限に表情を変える大
聖堂の一瞬一瞬がとらえられています。大
聖堂近くにあるルーアン美術館には、連作
のうちの1点『曇天』が展示されています。
オンフルール
Honfleur

モネの師で印象派の先駆者とされるウー
ジェーヌ・ブーダン(1824-1898)が生まれ
た町。ブーダンはほとんど独学で絵を学
び、生まれ育ったこの地の海と空の風景を
好んで描きました。彼はまた、この町にク
ールベ、モネ、ヨンキントら芸術家の友人
を集め、盛んに芸術論をたたかわせました。
多くの画家たちが描いた旧港周辺の風景
は、今も絵画的な美しさで訪れる者を魅了
します。ブーダンの作品を中心に印象派の
作品を集めたブーダン美術館も必見です。
トゥルーヴィル
Trouville

19世紀に鉄道の普及でにぎわいはじめ
た海辺の保養地。着飾ったパリの上流階級
の人々が休日を楽しむ風景は、ブーダン、
モネらによって描かれました。トゥルーヴ
ィルは今も洗練されたリゾート地としてパ
リジャンに人気の町です。海辺に続く遊
歩道の明るい雰囲気は、印象派の画家たち
がキャンバスを立てた100年前と変わって
いません。
[アクセス]パリ・サン・ラザール駅から列
車で約2時間。Trouville-Deauville下車。
ジヴェルニー
Giverny

光と大気、水、雲、霞……刻々と移り
ゆく自然の様相を描き続けたモネが、最後
にたどりついたのが、セーヌ河畔のジヴェ
ルニーでした。1890年には家と土地を購
入し、四季折々の花が咲きみだれる庭園と
睡蓮の浮かぶ池を自ら設計して造り上げま
す。彼は晩年の日々をこの家で過ごし、
『睡蓮』の連作など数々の傑作を生み出し
ました。
モネの家と庭園は、現在クロード・モネ
財団の美術館となり、花の季節(4~10月)
に一般公開されています。淡いピンク色の
外壁や内部の家具調度は当時のままに修復
され、モネが家族とともに暮らした幸福な
日々をしのばせてくれます。モネの死後一
時は荒れ果てていた庭も、かつての姿に復
元されました。睡蓮の池では、流れる雲と
しだれ柳が水面に影を落とし、その情景が
まさにモネの絵の世界に入り込んだような
気分に誘ってくれます。



ノルマンディー 印象主義発祥の地


20世紀の初頭のジヴェルニーには、モ
ネに憧れて多くのアメリカ人画家が集まり
ました。彼らの作品やアメリカの印象派画
家の作品を集めたアメリカン美術館が、モ
ネの家にほど近い場所にあります。
[アクセス]パリ・サン・ラザール駅からルー
アン方面行きの列車で約50分のヴェルノン
Vernon下車。ここから接続のバスで約15分。

■モネの家と庭園
Maison et Jardins de Claude Monet
84, rue Claude Monet 27620 Giverny
Tel:02.32.51.28.21
www.fondation-monet.com
■ジヴェルニー印象派美術館
Musee des Impressionnismes Giverny
99, rue Claude Monet 27620 Giverny
Tel:02.32.51.93.99

ノルマンディーの歴史 (un peu d'histoire)...

http://www.normandie-tourisme.fr/CRTN/sites_etrangers/jap/Histoire.htm

ノルマンディーの名は、9世紀に北欧か
らやってきたノルマン人(ヴァイキング)に
由来します。当時ヴァイキングはセーヌ川
をさかのぼり、あちこちの町を荒らし回っ
ていました。手を焼いたフランス王シャル
ル3世は、懐柔策として一族の首領ロロン
にノルマンディー地方の領有を認め、ノル
マンディー公に叙することにしました。と
きは911年。ノルマンディー公国の歴史の
始まりです。キリスト教に改宗したノルマ
ンディー公はかつて自分たちが壊した修道
院や教会を再建し、ヴァイキングたちは武
器を農具に持ち替えて、大地を耕しはじめ
ました。こうして、今見られるようなノル
マンディーの美しい風景が生まれたのです。
1066年には、ノルマンディー公ウィリ
アムがヘイスティングスの戦いでイングラ
ンドを征服、イングランド王ウィリアム1
世となりノルマン朝を成立させました。バ
イユーに残るタペストリーには、イングラ
ンド征服の様子が生き生きと描かれていま
す。その後ノルマンディー公国は、1204
年フランス王フィリップ2世に併合され、3
世紀の歴史に幕を下ろしました。百年戦争
時は再びイングランドの手に渡りますが、
1450年最終的にフランス領となりました。
その英仏の戦いのさなか、救国の少女ジャ
ンヌ・ダルクが、ルーアンで火刑に処され
るという悲劇が起こりました。
ノルマンディーといえば忘れ
られないのが、第2次世界大戦末
期の連合軍によるノルマンディ
ー上陸作戦です。ナチス・ドイ
ツ軍に占領されたノルマンディ
ー奪回のために展開されたこの
戦いは、連合軍側の勝利に終わ
ったものの、ノルマンディー各地
に深い傷跡を残しました。この
海岸を訪れたなら、のどかな風
景の裏に隠された悲しい歴史に
思いをはせてみたいものです。